人はなぜある動物は愛し、またある動物は殺して食べるのだろうか?

この記事もフルイのひとつでしょう。後段で豚や鶏飼育の実態(動画)がありますので、私たちは自分の目で現実を受け止める義務があります。

人はなぜある動物は愛し、またある動物は殺して食べるのだろうか (転載元:Forbes Japan

人間は動物に対して驚くほど非論理的で一貫性のない偏見を持っている。しかしそれと同時に、ベジタリアンでさえ非ベジタリアンと概ね感覚が一致している。

人は人間と動物との関係をどう考えているのか? 彼らを仕事や娯楽や友だちになるために使ったり、捕らえておくことは倫理的なのだろうか。あるいは食べることは? 人はなぜ動物を仲間として扱ったり、狩りをしたり殺したり、小さな囲いの中で育てて、その体を食べたり毛皮を着たりするのだろう。これは人間動物学(anthrozoology)が探究している新たな規律に関する数多い問題のいくつかにすぎない。それは10を超えるであろう学術分野にまたがる学際的分野であり、心理学から法学、史学、哲学にもおよぶ。

人間動物学の焦点は、人間の道徳に対する考え方と人間の消費傾向が、どのように人間と動物の相互関係を形成するかを研究することだ。たとえば、毛皮のために動物を殺したり、フォアグラを食べることは拷問の一種だと信じている人が、一方では魚釣りをしたり医療目的の生体解剖を支持しているかもしれない。

■どこに線を引くのか、その理由は?

私たちと動物との複雑な関係のニュアンスをより深く理解するために、ジェームズクック大学シンガポール校とジェームズクック大学オーストラリア校を拠点とする研究チームがオンライン調査アンケートを設計し、馴染みのある動物16種類、トラ、イルカ、イヌ、ウマ、オランウータン、ウシ、ブタ、ニワトリ、ヒツジ、マグロ、エビ、タコ、ワニ、ウサギ、サメおよびカエルに対する感じ方を質問した。調査はステレオタイプ内容モデル(SCM)に基づいて行われた。

SCMは賛否の分かれる社会心理学アプローチで、人間はwarmth(温もり)とcomptence(知的能力)という2つの次元で他人を判定し、この判定がその人の他人に対する行動を駆り立てるという考えだ。このモデルを上記16種類の動物に適用し、被験者が5段階スケール(1. まったく思わない、5. 強くそう思う)で評価した結果、4つのグループ「Love(愛情)」「Save(保護)」「Indifferent(無関心)」および「Dislike(嫌悪)」がつくられ、これらの動物に対する被験者の感じ方が示された。

被験者は次の3つの集団から選ばれた。42名がシンガポール・ベジタリアン協会、76名がシンガポールの動物保護団体、ACRES、205名がシンガポールの私立大学に入学した学生からそれぞれ参加した。被験者の平均年齢は26歳で、民族は多様で、さまざまな宗教観を持っていた。

ベジタリアンと動物活動家はニワトリに対して大学生よりも温もりを感じていた

倫理観に関する質問に対する被験者の回答を分析した後、研究チームはベジタリアンと動物活動家を、ものごとを正しいか誤っているかのどちらかだとする「絶対主義者」に、ベジタリアンでも動物活動家でもない人々を「中立」グループに分類した。

「被験者は温もりと能力の次元に従って、16種類の非ヒト動物に著しく異なる評価をつけました」と論文の主著者で、ジェームズクック大学オーストラリア校で学位論文の一環としてこの研究を指揮した心理学者のポール・パティナダンは述べた。同氏は現在シンガポールの国立医療グループに所属している。

驚いたことに、2つのグループは実験対象動物に対してほとんど同じ感じ方を示した。絶対主義者と中立グループの間でどれほど評価が似ているかを強調するべく、研究チームは調査結果に基づいて16種類の動物を4つのクラスターに分けた。

たとえば被験者は全員、イヌ、ウマ、およびオランウータンに温もりを感じたがワニ、タコ、マグロ、カエル、エビには感じなかった。被験者に聞いたところ、保護に値する動物はトラ、サメ、イルカ(それぞれの力と能力のために)で、ウサギ、ウシ、ヒツジはあまり能力がなく、あまり愛らしくないとみなされていた。

最大の驚きは、絶対主義者と中立グループ両方の人たちが、いわゆる「食用動物」をペットよりも知覚が弱く、権利がなく、道徳的問題の対象になる資格が少ないという点で一致していたことだろう。不思議なことに、これらの人々は、実際にはイヌよりも知能が高いブタを「あまり愛すべき価値がない」と考えていた。おそらく、被験者は過度にベーコンを食べることが好きだからか、ブタは「汚い」動物であるという嫌悪感を持っていたからなのと考えられる。それほど驚きではなかったのは、サメはウシよりも人を殺すことがはるかに少ないにも関わらず、被験者全員に概して嫌われていたことだが、同時にウシを食料以外のものとして見ている被験者はごくわずかだった。

ニワトリはこの研究のサプライズの1つだった。ベジタリアンと動物活動家は、ニワトリに対して大学生よりも温もりを感じていた。

人は動物たちを理解したり感じたりする際、道徳的矛盾を露骨に無視する

なぜ、わざわざ人間の動物に対する感じ方を理解しようとするのか?

「私たちの非ヒト動物に対する道徳的判断の位置づけを理解することは、最終的に人間が世界を共有している物たちとの人的交流の特質を定義するために役立つと考えています」とパティナダン博士はいう。

この予備研究に議論のあるSCMアプローチを使ったことで、動物の明確なグループ分けがなされ、それぞれのグループに先入観による感じ方が反映された。しかし最も興味深い発見は、道徳的に異なる性質をもつ人たちのグループであるベジタリアン、動物活動家および大学生が、本研究で扱ったさまざまな動物に対して似たような固定観念を持っていたことだ。

これは予備実験であるため、たとえば女性と若い被験者が多数を占めているといったサンプリングの問題がある。もう1つの問題は地域だ。被験者の思想的観点はさまざまだが、全員が東南アジアの小さな領域から選ばれている。文化が違えば動物に対する意識が異なる可能性は高いため、異なる文化的背景の間のさまざまな動物に対する意識の類似点と相違点を見つけ出すために、研究チームは同様の研究を欧米人に対して実施することを検討している。

「人の非ヒト動物に関する倫理的イデオロギーは、さまざまな動物種に自ら与えている社会的順列には影響を与えていないようです」とパティナダン博士はいう。「研究結果は非ヒト動物に対する人間的感情全般が、適応的社会的価値の判断や順列の『精神的ショートカット』に由来している可能性を示唆しています」

こうした精神的ショートカットは、多くの人々が動物たちに対して、自分の好き嫌いを正当化するために、異なる評価、ときには矛盾する評価をつけることを露呈させた。このことは、なぜ私たちがある動物種を大切に思い、別の動物種を傷つけたり殺したりするかの説明になるかもれない。研究は私たちが地球を共有している動物たちを理解したり感じたりする際、道徳的矛盾を露骨に無視してしまうという人間の驚くべき能力を浮き彫りにした。同時に、被験者が特定の動物種に対して持つ感情が、その動物に対する倫理的あるいは道徳的観点とは、ある程度まで、無関係だったことは指摘しておくべきだろう。こうした「精神的ショートカット」は、どの動物を保護すべきかを選ぶ際にも深遠な影響を与える。

「絶滅危惧種を保護するための寄付の対象を、トラにするか、より絶滅危機が迫るゲンゴロウにするかを選ぶとき、人は大型猫類の威厳に引っ張られるのが普通です」


この記事、こういった家畜飼育の実態に対する警告でしょうね。つまり、これもフルイです。

概念に基づく単語の類似性判別 : 応用論 笠原 要, 金杉 友子, 松澤 和光 2000 年 12 巻 3 号 p. 367-376

(前略)単語の概念は、その単語の特徴を表す属性の重みからなる概念ベクトルと して表現されている。(中略)

例えば、「馬」を「豚」や「自動車 」と比較する場合、動物の話をしていれば、常識的には「豚」の方が「馬」に似ていると人間は判断する 。

一方乗り物の話をして いる時は、「自動車」の方が「馬 」と似ていると感じられる。このように類似性判 別は、文脈や状況の影響を受けるので 、我々は、これらを表す言葉を「観点」と呼び、この観点に応じて類似度を計算する「観点変調」を提案 した。(以下略)

①被験者は全員、イヌ、ウマ、およびオランウータンに温もりを感じたがワニ、タコ、マグロ、カエル、エビには感じなかった。

この動画を見て平気な日本人はいないと思います。苦しく切なくなりますものね。

同じ「観点」で食物と感じる動物とそうでないものを分けると、私は以下のようになりました。

ニワトリの卵は食物。ニワトリの肉はお祭りなど、特別な行事の時だけ(命を)いただく。また、魚介類は食べ物で、イノシシやシカなどジビエ料理もギリギリ食べ物と捉えるようになりました。

しっかり現実を受け止めましょう。

この叫び声の主を、私たちは何も考えずに「食物」として扱ってきました。

ニワトリも同じです。

後は、あなたの判断です。

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Posted by sinsd